しんどい時間は良いベタになると、起きたときに突然思った。しんどい人生を負だとして、そんな経験しかできなかった自分を責めてきた気がするけど、もしかしたら本当に必要な時間でもあったのかもしれない。「苦しみはギフト」的な考え方は苦手だけど、そう思うと後悔と怒り悲しみで完結しそうな過去も悪いモンじゃなくなって見えそう…な感じもしてきた。
良いスパイス、良いエスプリ、良いひねくれ、デコピンのようなもの、良い闇。そう昇華されていくのかもしれない。
もともとポジティブかつ脳内宇宙で、やりたいことをやり散らかしてた若い頃の自分は、そりゃキラキラだったかもしれない。けどそのまま成長していたらチープだったかも。心の闇、人間の闇を知らずお花畑で大人になって。しかし私は幸か不幸か、闇と格闘したり闇そのものになったりと血反吐を吐きながらあれこれアレンジし満喫してきた。一周回ってスタート地点に戻ったら闇が隣に立ってました、相棒として、みたいな状態になっている。
「光を描きたいなら闇を描け」と何かで見たような。先生は「デザインしたければ空白をデザインしろ」と言っていた。
深く濃く、きれいなコントラストを描けたら楽しいだろうな、幸せだろ。きれいな闇なんて無いだろうけど、きれいな光を生むのは深みのある闇だろう。光のすぐ隣には闇がある。
今筆が止まっているように感じるのは、劣等感が理由かもしれない。思うように描けない、あの人たちはあんなに上手く表現できているのに。本当はこう描きたいのに、なぜかそれができない、近づけない。理由もおぼろげにしか想像できない。そんな軽いもどかしさで自分を責めて、常にじんわりした辛さに包まれている。
誰でもそうなはず。だけど、そんなふうにイマイチなのは自分だけだと思っているのかも。でも「これで完成、これでいいや」の満足レベルや完成度は、描いた量と成長度とともに上がっていくはず。今の100%は将来の10%だろう。未来の自分から見た100%を今目指すことも、今の100%を目指すことも少し無理がある気がした。
とにかく完成させて表に出して、反応をもらって、そこから必要としてもらえるには?を考えて成長していく。そのほうがよほど健全な気がする。布団の中で思う。


