3日間

昨日書いた“見える”人は、受け入れがたいこと…というか、そうであってほしくないと思っていたことを、「薄々感じていたろうけど、そうですよ」と眼の前に持って来てくれた。

衝撃よりも怒りが勝るのが不思議だった。運命と、それに抵抗できる力や知恵を持たなかった自分への怒りなどなど。当日は混乱と怒りにまみれてしまい、やるべきことだけ片付けて午後はすべて放棄した。
明後日はオフと決めている金曜日、終日ドライブしよう。それまでは何もしないと決めた。何もしないのは私にとって恐怖だから、そういう日は人生で多くない。でも今回は怒りと無力感でやや自暴自棄気味だから平気。食欲も(さほど)ない。

描きかけの風景ゴマに少し手を加え、そこで終わりにした。

その後、原稿には手をつけなかった。つけられないのではなくつけなかった。
2日目はほとんどを布団の上でダラダラ。朝起きてスマホで動画見て夕飯食べて寝た。
3日目の金曜は4時に目が覚め、7時に出発して22時までドライブ。ガストで新しいアルバムをダウンロードし、次の作品のタイトルやら、頭に浮かぶエピソードをぼんやり練ったりしながら走った。

途中、「人は受け入れがたいことが起きると、悲しみよりも怒りが先に来る。その後に悲しみ受け入れる」という話をふと思い出す(うろ覚え)。それまでは「悲んだ後に怒る」が当然だと思い考えたこともなかったので意外だった。

今の私はその通りの順番で動いてるな、人の機能そのままか、そう思うと自分が妙に滑稽。
たしかにガストで朝食を食べる11時まではぶりぶり怒っていて、店を出るときには小さな悲しみに変わっていた。悲しみに無力感やら色々とまざったもの。
新しい音楽は、アーティストの天才っぷりと私の凡才っぷりを容赦なく突きつけ続けるし、とくに目先に希望があるわけでもなさげだしといったように。

生活に支障が出るほど耳が良い。目以上に耳が情報を受け取るので、音楽から受け取るエネルギーや情報の量が過剰で生活に影響がある。
音から垣間見える、もともと才能ある人が多くの人のサポートまで享受してキラッキラになったエネルギーと、今の自分のそれを比較して落ち込む。今の私はちょうど、カオナシが四足になったときのようで、地底に這いつくばって生きてんじゃねーのかしらなどなど。
(「あなたは言葉のエネルギーが露骨に影響を与えるので、ネガティブな言霊は絶対にNG」と見える人に強く言われた。なのでカオナシの件もNGなんだろうけど、将来読み返す時のためにメモ)


最近は女性性の否定をやめるためスカートを履くようにしている。数ヶ月前に初めて訪れたショッピングモールに寄り、好きなショップで物色。バーゲン中だったが良いものはなかった。欲しいコンシーラーもなかった。
派手にデコレーションされた小さな木が立つ広場が一角にあって、初めて来たときも確か同じシチュエーションで自分の凡才っぷりと無力感を味わっていた気がする。その時の小さな木はクリスマスツリーになって、葉の形の電飾をぶら下げて周囲をギラギラさせていた。そういえばクリスマス当日だった。木の葉は電飾のためにか全てむしり取られている様子。人に必要とされるにはこれくらいの配慮と思い切りが必要なんだろうか。

前回は単品の無力感だったが、今回は「5年後にここに来る時、どこまで登ってられるんだろう?」というのが加わった。意識、決意、ぼんやりしたそんなもの。


正直なところ、「希望の光は見えてない」と表面的には思っているけど実は今のところ深刻ではない。あと17ページ描いたら今の作品が終わるし某社に託そうと思っている。今のペースだと残り9日で終わる。
託した後に何が起きるかはまったくイメージできない。それは希望があるわけでもないけど、無くもないってことだろ、と自分に言い聞かせている。

原稿を完成させて世に出す、クリスタ時短をさらに強化する、そこらへんをがんばろう。
風景のコマは納得いかない。でも、今の自分がこれ以上こだわったところで結果はさほど変わらない気がするので、覚悟してこれでいく。
原稿を完成させる。将来の自分はもっと思い通りに近く描けるようになっている…はず。

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